ジャック・ラカン
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ラカンは後接語 pas を何性 quiddité の排除 forclusion
の機能を果たすものとして、存在にかかわる ne に対峙させる。
ne は無意識の主体の痕跡であり、主体の分割 refente のシニフィアンである。
一方、pas は砂上の足跡 pas のように、現実における穴 trou を示す。それはシニフィアンの効果
としての主体を構成するものである。 パ-スのダイアルにおいて、「すべての線は垂直である」といった命題は、「いかなる線も存在しない」右上の四分の一円に対しても真となる、
つまり、普遍判断においては存在者の存在は必要ないのである。たとえば、「乳房のない哺乳類は存在しない
pas de mammifère qui n'ait de mamme」といった命題は、もし哺乳類というものが存在しなくても普遍的には真である。
第5章「主人の言説とヒステリ-者の言説」で述べることとなるが、哲学者の言説は、
ラカンによれば、主 人の言説の変種とみなされる。主人の言説は自らが普遍的言説であることを欲するが、精神分析の言説は、この主人の言説をヒステリ-者の言説と対峙させることによりその限界を明らかにする。
しかしここでは、精神分析の言説によって規定される性の論理において、各々の量
化命題とその様相との関係を述べることが懸案だったので、それに答えることでこの章を閉じることとする。 |