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成人期ADHDについて


 

成人期ADHDと言う名称について

成人期ADHD(注意欠如・多動症ないし注意欠如・多動性障がい)という名称は甚だ曖昧です。成人期のADHDであり子どものときはADHDではなかった、というような記述はどこにも見当たりません。
だとすると子どものときには診断されず放置されてきて大人になって診断が確立されたケースか、あるいは子どものときにはADHDの診断基準を満たしていなかったが成人になってからいわゆる代償不全が現れてきて実際ADHDに該当するようになったケースかということになります注1)。

注1) 日本では「年齢二十歳をもって、成年とする。」という民法第4条の規定があります(例外的に婚姻による成年擬制という規定が民法第753条にみられます)が多くの国で18歳以上を英語でいうadultと規定しています(https://ja.wikipedia.org/wiki/成年#.E6.88.90.E5.B9.B4.E5.B9.B4.E9.BD.A2.E4.B8.80.E8.A6.A7 を参照してださい)が、DSM-5では成人期ADHDはこれとも異なり17歳以上のADHDと規定されています。しかし「医療の対象となる」年齢という意味では就労開始年齢との相関関係の方がより需要でしょうしそのような統計はこれから明らかになってくるでしょう。

日本では17歳といえば高校生で、18歳になって社会人になるグループと大学に進学するグループに別れ、それぞれそれ以降が重要なはずですが、このあいだに各種学校卒のグループもあります。いろいろなカテゴリーに基づいた統計、とくにその相関関係、相関係数を調べてゆくことが必要でしょう。

成人期ADHDのDSN-5における診断基準では不注意の9項目も多動性、衝動性の項目9ともに5項目以上該当していれば診断が確立され、この点子どものADHDの6項目以上とは異なります。30歳近く、あるい はそれより年長で例えば異動を機に「代償不全(この語が一番すっきりしていると小生は思います)」が現れ初診となり成人期ADHDと診断されるケースもかなり多いです。成人期ADHDという名称が曖昧(=両義的ambiguous)であってしかるべきです。ですから小生はこの曖昧さを批判しているのではありません。成人期というステータスは生物学的マターと社会的、制度的マターのハイブリットなのですから。少なくとも日本においては学業上はADHDがディスファンクションを起こさないのに社会人となり、例えば4年生大学卒の場合は22歳になって、仕事(どのような職業でも多少とも社会性を要求されますし、対人的コミュニケーションはより複雑になります)をするようになってから自己診断をし初診に結びつくケースが圧倒的多数です。もちろん学童、学生時代は部分寛解であり、つまり発病時は部分寛解であったとすることには無理があります。ですから「ADHDを発症したが代償不全が現れてきたのは成人になってから」のケースがかなりの部分を占めるとするのが一番スマートだと思います。


チェックリスト

大人の、あるいは成人期(の)ADHDのチェックリストがあります。簡単ですからみなさんチェックしてみてください注2)。かなりの方がパートAにおいて「あなたはADHDの症状をもっている可能性は低いですが、不安な場合は、引き続きパートBをチェックし、お近くのお医者さんにご相談を」に該当するのではないでしょうか。

注2) http://adhd.co.jp/otona/selfcheck/


診断について

小生の診療においては、診断はDSM-5を参考にしますが、ADHDと診断が確立されてもかならずしも要医療とはなりません。他の疾患における診断とは異なり、初診時に自ら「自分はADHDなのかもしれない」と訴えて来られた方の自己診断の的中率はかなり高く、特にDSM-5の注意に関する症状が5項目以上に該当する方は70〜80パーセントに登ります。小生としては、あなたはたしかにADHDですが、社会生活上、「このままでもなんとかやって行くことができとるお思いでしたら医療の対象外とさせていただきます」、と申上げます。診断のみで加療しないケースがほぼ15パーセントぐらいです。一方で二次障害が深刻な方がかなりいらっしゃいます。ミスを上司から再三指摘され、なにかにつけ何度も確認作業を繰り返すため時間外労働が増え、またこの確認作業とは裏腹に「石橋を叩いても渡らない」ようになってしまいすべての業務が未達になっている方などは要医療となります。


DSM-5の記述

DSM-IVTRではADHDはAttention-Deficit and Disruptive Behavior Disorderといったカテゴリーの下位分類に収まっていました。disruptiveとは医学用語としては初出のものでしょう。DSM, ICD双方とも術語についての定義というものが欠けているのは致命的だと小生は思うのですが… disruptif,veはポアンカレが1899年に上梓した≪Theorie de Maxwell≫ における記述が最初のものではないでしょうか。「放電」についての記述で「突然起こり火花を発するもの」であり「過充電」の状態のもの(電線などであろう)が断裂することによるdisruptiveな放電といった表現がみとめられます。「ショート」における火花が連想できますが人間に即して言うならば俗に「キレて」手のつけられないエピソードがしばしば起こるケースです。DSM-5ではDisruptive, Impulsive-Control. and Conduct Disorder(邦訳 : 秩序破壊的 ・ 衝動制御・素行症群)というカテゴリーが設けられ、DSM-IV-TRではAttention-Deficit and Diruptive Behavior Disorderに多く含まれていた下位単位がこちらに移動となりました。ADHDはここから離れて神経発達障害の一型とされたとご理解ください。子どもですとDSM-IV-RではADHDとConduct Disorder(行為障害)が同じグループに属していた訳です。因にDSMと双子の兄弟みたいなICD-10では両者(ADHDとConduct Disorder)は依然としてBEHAVIOURAL AND AEMOTIONAL DISORDERS WITH ONSET USUALLY OCCURRING IN CHILDHOOD AND ADOLESCENCE AND UNSPECIFIED MENTAL DISORDERという長たらしいカテゴリーの下位単位のままですので、既にこの部分はカビが生えた代物といってもいいのではないでしょうか。

disruptiveという形容詞に話を戻しますが、以上とは別にDepressive Disordersの下位分類にDisruptive Depressive Disorder(邦訳では「重篤気分変節症」)という一型が加わりました。disruptiveの訳語は一例にすぎません。それぞれの翻訳作業を担当した人たちの間で邦訳上統一が図られていないのは監訳者の責任といわざるをえません。

いずれにしても、ADHDが行為障害とは近縁のものではないclinical entityとして位置づけられたことは、多少DSMもましになったと言うことはできるでしょう。行為障害というタームを西鉄バスジャック事件と結びつけて記憶していらっしゃる方は少なくないでしょう。このような事件を医療と司法との狭間でどう規定するかは難問でしょうが、分類が変るわることによってその内実にこれだけ影響力の力点のずれが生じて来る例も稀なことです。ましになったと申上げましたが一方で、Disruptive,Impluse-Control, and Conduct Disorderが生得的一群ではないものとされたことによって、逆に神経発達障害は(「神経」という語は贅語的でもあり、のちに述べる発達というものにおける環境因を神経系統だけの問題に還元するのは抵抗を感じます)は遺伝的hereditary注3)であることがことさら強調される結果になってしまいました。

ADHDの診断基準そのものの各項目についてはDSM-IV-R⇒DSM-5で際立った変更はみられません。不注意に関する項目と多動性及び衝動性関する項目が9項目ずつ、このうち子どもの場合、「片方が6項目以上該当しこれが6ヶ月以上持続しており」という記述は同じですが、「その程度は発達の水準に不相応で、社会的および学業的/職業的活動に直接、悪影響を及ぼすほどである診断が成り立つ」とDSM-5では加筆されています。発症年齢がDSM-IV-Rでは7歳までとされていましたがDSM-5では12歳までと変更されています。また重症度が3段階に分けられました。

注3) hereditaryという語の邦訳は「遺伝的」でしょうが、一方でgenetics「遺伝学」についてですが、最近IPS細胞等の研究成果を踏まえて、いわゆる遺伝子宿命論という前提は崩れてきてepigenetics(日本語では片仮名訳で「エピジェネティックス」です)という語が定着してきました。逆にこの形容詞epigeneticは邦訳で「後生の」あるいは「後生的な」です。例えば、「成人期ADHD診療ガイドブック」(樋口輝彦、斎藤万比古監修、じほう出版)…においては、≪先行研究によれば、ADHDは多因子遺伝に加え,体内、胎内での鉛曝露や出生児の低酸素状態などの環境因子の関与が報告されている …既報の分子遺伝学的研究のメタ解析から、シナプソトーム関連タンパク(シナプトソーム関連タンパクが正しい)であるSNAP25、ドパミントランスポーター(DAT),ドパミンD4受容体DRD4,ドパミンD5受容体(DRD5),およびセロトニントランスポーター(5-HTT), セロトニン受容体1B受容体(HTR1B)の7つの遺伝子がADHD罹患と関連することが報告されている≫とあり … 以下はFaraone,SVの論文が引用されているが、これ自体自己撞着した文で、もし多因子遺伝云々ならば、このような医薬品(敢えてここでどれがどの受容体に関連するかは省くとして)により関連した遺伝子のみでは多因子遺伝とはならなりません。もっと多くの遺伝子についてADHDのいくつかのフェノタイプとの関連が言及されています。遺伝子レヴェルの研究に限っていうと百花繚乱とかいえるものでなく、大混迷の状態であったのです。遺伝子レヴェルに限ってのべるとしても多因子poligenicityのみでなく異因子heterogeneityについても述べるべきなのに、片腹痛いはずの記述です。環境因子が極めて重要なのにこれでは時代遅れの遺伝子宿命論に逆戻りではないでしょうか。「メタ解析」といった大層な表現でミスティフィケーションしているこのような記述に騙されてはなりません。Plomin R等は既に「postgenomic eraの精神病理学」といった表現を用いているし、Capsi A等は「Gene-environment interactions in psychiatry」といったタイトルの論文を書いています。因に「先天的」はcongenitalの訳であり、例えば妊娠中の母体がトキソプラズマ症に罹患すると、「先天性白内障」の子どもが生まれるリスクが高いことは昔から言われてきましたし、この場合も遺伝性疾患とは言えません。そして母胎内世界にしても母胎外世界にしてもこれは環境世界です。


「成人期ADHD診療ガイドブック」については批判的なことを書きましたが「ADHD概念の歴史」の部分はよくまとまっており、参考になります。この部分はWEB上でも読むことができます。 (http://www.jiho.co.jp/Portals/0/ec/product/ebooks/book/44706/44706.pdf)。

医療行政上の問題

我が国の医療行政ではDSM(アメリカ精神医学会が定めた「精神障がいの診断と統計マニュアル」)よりもICD(WHOによる「疾病および関連保健問題の国際統計分類」)の方が重視されていますが、先に述べたようにICD-10におけるADHDは「行為の障害」のカテゴリーに含まれていてDSM-5におけるADHDはDSM-IV-TRとも異なり、自閉症スペクトラム症と同様、「神経発達症群」というカテゴリー内に分類されるようになりましたが、平成17年4月1日に施行となった「発達障害支援法」ではこの法律の適用対象としてADHDが含まれています。この点で行政の側に先見の明があったことになります。


疫学上の問題

Guiherme Polandzyk and Luis Augusto Rohde(Polanczyk2007Curr Opin Psychiatry.pdf)はADHDと関連障がいについてのかなり広範囲にわたった疫学研究ですが、発表されたのは2007年ですので既に古いものとなってしまっています。引用された文献は発表年もまちまちであり、あるものはICD,あるものはDSM-IVあるいはDSM-IV-Rに準拠しています。ワールド・ワイドな疫学調査、あるいは米国内のもの以外においては、アラブ社会の小学生のADHD、マジョリカ島におけるADHD、クレタ人学童のADHD、ブラジル村落部アフリカ系ブラジル人の小児精神保健問題、3歳〜青年期の精神障がい、イタリアにおける小学校卒業時のADHD、キンシャサ(コンゴ民主共和國)学童のADHD、プエルト・リコにおける小児期と青年期の障がい、等々レアな文献についての言及が散見されます。

Shire社のADHD INSTITUTEのページ(http://www.adhd-institute.com/burden-of-adhd/epidemiology/)ではPolanczyk G, Jaranjeira R, Zaleski M,et alのInternational Journal of Methods in Psychiatric Research 2010, 19, 177-84, の欧米7か国、中南米、レバノン、オーストラリアの統計が世界地図に記されて示されています。

WikipediaでEpidemiology of attention deficit hyperactive disorderを検索すると、合衆国内のADHDの疫学研究についていくつかの文献について紹介されていますが、結語としてDSM-IV-RからDSM-5への大幅な改定により成人期のADHDは増加してゆくであろうと述べられています。

日本国内に関しては古い数字しか見ることができませんが、前述したように、本邦では行政側が医療機関等に対して、一部の書類作成時にDSMではなくICDに準拠した診断を求めていますのでこれは致し方ないものといえます。ICD-11が発表された暁には漸次、この分類(おそらくDSM-5に近いものになることが予想されます)二足した疫学的調査が行われるものと期待しています。


当医での方針

当医においてはメンタル系医療については初診の患者さんでADHDの方たちの90パーセント以上は成人で、ほとんどが勤労者です。

遡及的に小児期にはっきり多動傾向のあった方もいらっしゃいます。この場合も、小児期に診断が確立されていないケースなので当医においては便宜的に成人期ADHD(保険請求上は単にADHDです)と診断します注1)を参照してください)。仕事となるとやはりだれでも人事考課が気になります。日本という国は業務内容によって差はありますが概してミスに対してかなり許容度が低い国で、減点主義の国ともいえます。ADHDの方たちにとってはきつい国なのです。必ずしも一概には言えないのですが、成人期ADHDを仕事との関わり方から見て以下のような相反する2極を措定して治療に繋げます。

#小児期、多動傾向があったひと : @(失礼な言い方で申訳けないのですが)「下手な鉄砲数うちあたる」式にそれなりに成果をあげることができる。 A上司からの指揮命令の話が終わらないうちに早合点して何かコメントを挟む。 Bなにかの業務をそこそこ順調にこなしていたところ、上司から「ちょっとこれもやってくれないだろうか」と言われ、即座にその別の業務に移るが、それをやり終えた時点で元の業務に戻れない(なにをやっていたのか思いだせない)。

##(母親等の証言では)どちらかというと「手のかからない子ども」だったひと : @複数の業務を与えられると上述したような「石橋を叩いて渡らない」ことによりあらゆる業務が手付かずのまま期限を迎える。 A上司からの指揮命令は彼が話し終わるまで聞き、「分かりました」と答えるが、実際はよく分かってはおらず、なにを言ったのか推論に推論を重ね、多くの場合この推論が間違っており、見当違いのタスクの組み合わせの集合となり、しばしば必要な課題には対処できておらず不必要な仕事もやってしまう。 B#と同様、上司から「ちょっとこれもやってくれないだろうか」と言われると、狼狽して頭が真っ白になりもともとやっていた業務も臨時の業務も手につかなくなる。

もちろん子どものとき多動傾向が認められた大人において##の@,A,Bを呈するケースもありますがこの点の齟齬については次に発表するAgnes Condatの論文についてのコメントで言及するつもりです。


アレン・フランセス

フランスにおいてはHASという外郭団体がA精神分析にADHDの治療は無効とのレッテルを貼り、分析家の側からのリアクション(特にラカニ アンたちのそれ)がいつになく心もとなく、「ADHDなどは存在しない」といった極論(「正常を救え」といったタイトルの本を上梓したアラン・フランセスを引き合いに出している)をぶつけて来る人もいます。小生としては、フランセスはDSM-IVまでは監修責任者であったわけですから、心情的には「同じ穴の狢ではないか、その座から外されたことでルサンチマンのかたまりのような暴露本を認めるのは潔しとしない」と吐露しないわけにはいきませんが、あることないことが書かれている本で、そのあることには着目して良いと思います。成人期ADHDは昨今増加しています。DSM-5の影響だけではありません。社会学的側面からの研究は鳴りを潜めています。 これも別稿で触れることにします。


トレーニング、生活習慣、TM、職場の対応

ワーキング・メモリー・トレーニング等トレーニング、あるいはコーチングについては小生も一部分評価しています。一方で出来合いのツール注4)で十把一絡げは如何なものかと首をひねります。一口にADHDといってもいろいろなケースがあり、その人にあったオーダーメイド医療ということであればコーチング(コーチにより成果はまちまちでしょうが)が有効です。

小生がADHDの大部分のケースにおいてご指導申上げるのは、「整理整頓の習慣を身につけ、(仕事を終えて疲れているでしょうが)帰宅時、トイレに行くよりも前に大事なもの、財布・定期入れ、携帯、時計等を決まった場所に収める」ことです。また、レセピンを見ながら料理を作ることもお勧めします。パートナーがいらっしゃるのなら、ご一緒に、例えば散歩注5)やジョギングをしながら、いろいろなテーマを巡って話を交わす、つまり「ながら族」の実践をお勧めします。メモを取ることを勧める治療者は多いのですが、走り書きで埋め尽くされたメモ帳を後になって見て、「いったい自分は何についてなんのことをメモったのだろうか」と途方にくれる症例をかなり見かけます。メモにもその人に応じた工夫が必要です。ワーキング・メモリーは、研究者によってその定義付けからしてまちまちですが、従来の記憶についての記述的定義、すなわち記憶の記名→保持→再認とは全く異なった短時間内の記憶の側面を強調するものです。短時間内の記憶は次第にその鮮明度が弱くなり消えてゆくという事実を強調している研究者に与します。小生は知覚に注意を集中するにはその直前の記憶を保持してゆくことが必要ですが、過去に遡り連綿と記憶を保持しようとすると知覚自体が不鮮明となってしまいます。より古い記憶を切り離しワンバック、トゥーバック(「鬼トレ」ではこれが鍛えられます)は押さえておいて、それより古い記憶は消すことが肝要です。  セルフ・トレーニングというものもありますが、やはりコーチングが重要です。ジャック・ニクラウスがある試合で優勝したときのインタヴューで語ったことばをいまも覚えています。インタヴューアーが「あなたのように完成されたスウィングをみにつけたひとにティーチング・プロはなぜ必要なのか」との問いに、「それは当たり前のことだよ。僕には僕のスウィングが見えないから」と単純明快な答えでした。岡目八目ですので他人の指摘を素直に受け入れることです。

TM(Transcendental Meditation)はそのうち体験してみようかと思っていますが、おそらくADHDに極めて効果的(http://www.bienfaits-meditation.com/fr/fondation_david_lynch/ecoles_meditation/tdah_dlを見てください。あのデヴィット ・リンチが絶賛しています)だとすると瞑想=無我の境地、つまり頭のスイッチを一旦切ることの重要性が隠されているのではないでしょうか(これについてもAgnes Condatの論文との絡みで別稿にて述べます)。  職場内における上司や周囲の理解が強調されています。個人情報の扱いについて厄介な問題がもち上がることは確かですが、情報開示にご本人が積極的であるケースの方が格段に治療効果が上がります。ラインの上司、人事労務担当者と療養担当者(主治医=小生)がコンタクトを密にとってゆき、どなたかがコーチ役を兼ねて対処していただいているケースで仕事上のパフォーマンスが驚くように向上した成人期ADHDの方が何人かいらっしゃいます。

注4)コグメドは小生自身予約を入れいずれ体験談として発表いたします。ただ希望者が多く一定のリズムで実施することはむずかしいです。東北大学加齢医学研究所川島隆太教授監修「5分間鬼トレーニング」も小生自身、何人かの子ども(なかにやや落ち着きのない子どももいました)で試してみましたが駄目です。一定のレヴェル(小生の場合はやはり年齢という壁)で行き詰まります。子どもの場合は総じて上達できなると全く興味を示さなくなります。ただしヒントを得ることができましたしそこから応用に繋げることができます。例えば外国語を多少できる人でしたら、テキストはなんでも構いません。できるだけ長文が含まれているものがお薦めです。このテキストをできるだけ速く、大きな声を出し抑揚をつけて読むのです。なぜ黙読では駄目で声をだして読むことが良いのかというと、ひとつには声を出すとその自分の声を「聞く」ことにもなります。日本語では「き-く」には「聞く」、「聴く」、「訊く」などが関連している漢字表記ですが、白川静の「字統」の「聞」の項を読むと「聞」と「聴」との間には興味深い関係があることがわかります。いずれラカンのpulsion invocanteとの絡みで自閉症と「声」との関係について詳しく述べるつもりです。今ここでは、外国語(ヨーロッパ諸言語を前提にしています)の速読についてのみ説明します。翻訳で一番参考になるのが映画の字幕です。文法構造の違いから語順と映像が一致しない文ですと字幕には適さないものになってしまします。ですから字幕は外国語を出来うる限り頭から訳すように施されています。音読も同じように文を頭から理解する(声を出せば良い訳ではなく読みながら理解しなくては駄目です、つまりその言語としてその流れに従って理解することが重要なのです。実は日本語においても同じなのです。他人(ひと)の話を聞くとはその発語を聴覚器官を通して聴き、理解し(理解することは「他者」のはなしことばを自分のなかで自分の言語に翻訳することです。上述したADHDの2極構造について関係してくるものであり、ADHDの症状でもある「他人の話を最後まで聞かない」、上司の話の腰を折って質問したり、コメントしたりするのは寧ろ理に叶っている訳です。少なくとも相手の話を最後まで黙って聴/聞いてから、後で理解しようとして推論に推論を重ねるタイプの方がコミュニケーション不全のリスクは高いのです。フランス語で「聞く」はentendreですが、これは「理解する」という語義もあります。カントの「理性」はドイツ語ではVernunft,「悟性」はVerstandで後者の動詞はverstehenで理論理性に関わるものだが、「理性」はさらなる拡がりを持つもの(道徳法則にも関わる)です。聴く/聞くことの障害については中途失聴者の症例でも明らかですが、望ましからぬ防衛として「聞こえているふりをする」ことで、この「ふりをする」に特徴づけられるものとしてHelene DeutchのいうAls-Ob Personlichkeit(英語訳でas-if personality)が挙げられますが、これも別稿にて述べることになります。

注4)ケベック州のTDAHのページ(http://www.tdahquebec.com/)には散歩の効用についていろいろなことが書かれています。極端なのは1日20km散歩すると良い、などとありますが、日本ではそんな暇はあるわけないです。


薬物療法について

本邦ではメチルフェニデートとアトモキセチンがADHDに適用で保険収載されています。小生はケース・バイ・ケースで使い分けています。