心を考える
東京精神分析研究所とは
精神科専門医の荻本芳信が管理しているWebサイトです。主催するラカン勉強会の情報や論文等の公開をしています。

管理者:荻本芳信
昭和23年生まれ 射手座 血液型B型
昭和48年東京慈恵会医科大学卒
医学博士
精神科専門医

精神科医・荻本芳信のブログ

ご挨拶

医療法人アネモス会荻本医院は廃止となりましたが、勉強会は、この間も私荻本とイリーナと二人だけでラカンのセミネールVII巻『精神分析の倫理』の読書会として続けてきました。東京精神分析研究所が発足となり、研究所の活動の枠内で、以前、セミネールXXI巻Les non dupe errentの読解に参加していただいていた小出さん、さらにイリーナのお仲間であるナターリアも参加するようになり、計4人のほぼ固定メンバーで、同様に『倫理』の読書会を続けてきています。時に他のラカン関係のセミネールやそれに関係する文献について私が注釈したり、私以外のメンバーの発表も予定しています。過去に精神分析関係、特にラカンについて荻本がアネモス会で発表したものも随時この東京精神分析研究所のページに移し替えてゆく予定です。『倫理』の読解の底本はミレール版、時に(特にセミナール内でラカン以外の聴講者の発言、発表についてはミレール版では省略している箇所が多く)STAFERLAを参照しています。ロシア語版はミレール版からの翻訳が進められており『倫理』も翻訳済みでネット上に公開されており、イリーナ、ナターリアもこちらを読み続けております。  『倫理』を読んでいて気になっている点で、本邦では誰も取り上げていない「現実」(la réalitéをこう訳してle réelを「げんじつ」とひらがな表記で訳し分けることとしました)という語ですが、ラカンはこの『倫理』のセミネールの時点ではまだこの両者、「現実」と「げんじつ」を混同して使っている箇所が多く、このセミネールがターニング・ポイントとなり、le symboliqueからle réelへとラカンの視点は変わってゆくのですが、ではその後のラカンにおいて「げんじつ」ではなく「現実」はどうなっていったのか素描することにしました。そもそもフロイトがNeuroticaのを断念したのは、「誘惑」をげんじつの外傷体験をヒステリーあるいはさらに一般的にいって「神経症」の病因として決定的な価値を持たせることができなくなり、小児性愛がもたらす心的現実、幻想の重要性に気づいたことからです。以後のフロイトにおいて、精神病論等少ない例外を省くと「現実吟味」はその重要性が薄れていきます。いずれにせよフロイトがNeuroticaにおいて槍玉に上げた父親(=「誘惑者」といった図式)はその後もエディプス・コンプレックス、『トーテムとタブー』における原-父のように暴君的なイメージ(ラカンの想像的父親)に結び付けらて論じられることとなります。ラカンにおいては『倫理』以降、60年代には「現実」と「げんじつ」は峻別され、前者は幻想との関わりで定式化されます。当然ながらフロイトの心的現実とラカンの心的現実はイコールではありません。ラ・コーズ・フロイディエンヌの雑誌のひとつであるActesの19号がLa réalité depuis Freudとのタイトルの下にいくつか論文が寄稿されていますので、これらをまとめてみます。これとは別にRSIにおいて四つ目の輪は「心的現実」(これは「エディプス・コンプレックス」だともされており)、さらに「宗教的現実」とラカンは呼び替えているわけですので話は複雑になりますが、次回の勉強会が『倫理』の「神の死」のこともあり、この「神の死」さらに「恩寵」について特にラカンと聖アウグスティヌスの関係(アウグスティヌスというコンテキストでラカンを読むのがいわゆる目から鱗が落ちる式にラカンを説明、理解させる最良の方法と私は思っています)についてですが、ちょうどSara VassalloのLe désir et la grâce, Saint Augustin, Lacan, Pascalを入手しましたので、この本に沿って説明すれば(近々発表します)、スッキリと話がまとまると思います。ここから「宗教的現実」にも繋ぎたいと思っています。  『倫理』に暗々裏には示されていますが、テーマとしてまでは取り上げられていないのは「外傷」です。既にICD-10は時代遅れのものとなり、ICD-11においては単なるPTSDではなくComplex PTSDというカテゴリーが創設されます。これはフロイトのNeurotica断念の焼き直しなのか。そもそも神経症という概念を軽視しているICDにおいて、外傷神経症と神経症的ではない心的外傷との鑑別診断も行うことができませんので、この問いは意味がないでしょう。父親の話に戻ります。他の分析家もそうでしょうが、特に「フロイトへの回帰」をスローガンとしていたラカンにとってはこの「父親」は精神分析の生みの親である「フロイト=父親」を意識しないではいられなかったでしょう。ということはそこには当然フロイトにおける彼の父親、転移的状況における分析主体からみた分析家フロイト=父親、この状況の中での幻想/「心的」現実(そこには分析主体の幻想がフロイトの幻想に置き換わっていたのではないだろうか、分析主体はフロイトの幻想を反復して語るように誘導させられてはいなかったか)についての分析の深化が刻まれていた筈です。 ラカンにおける「父親」の名に関わる問題とその変遷がセミナール全体を通じて(Henry KrutzenのJacques Lacan, Séminaire 1952-1980 Index référentielによればセミナール2巻から23巻にかけてnom-du-père及びこれに関連する事柄への言及が確認されているが、ところどころ出典、つまりセミネールの月日に誤りがある)読む作業が必要でしょうが、とりあえずErik Porgeの記述に従って読み書くといった作業が進行中です。PorgeのLes noms du père chez Jacaues Lacanは1997年上梓ですが、彼のLettres du symptôme(2010年上梓)(今読み進めている)は同様にle nom du pèreの正書法についてはPorge自身捉え方が少し変わってきています。セミネールにおいて、説明上黒板に書いたり描いたりする以外はラカンが発する音声だけが頼りで、これのテープ録音、これがsténotypeとなり、これをdactylographieとし、これは「ラカンの秘書係のdactylo」、あるいは「(薄紙に書かれたオリジナルの)秘書係のdactylo」と呼ばれる。その他セミネールに出席していた聴講者が独自にこのdactyloを訂正したものもある。ミレール版(正規版)はミレールが筆を加えている訳であるのですから、「ノン・デュ・ペール」がそれぞれの語が大文字なのか小文字なのか、ティレが付いているのかいないのか、あるいはラカンはときにもし書くとしたらイタリックで示されていたのではないか、正規版においてはミレールの筆加減で決まってくるのではないでしょうか。  ところで最近ラカンについて、彼はフロイディアンであったのかアンチ・フロイディアンであったのかという自問に対して、そのどちらでもないという確信に至った(と思っています)。例えばフロイトの「昇華」Sublimierung, sublimationについての論考、論稿ははっきり言って支離滅裂です。ラカンはフロイトの諸用語、諸定式をconsistantなものに仕上げようとしていたのです。新造語、図式、マテーム、曲面のトポロジー、そして結び目のトポロジーはそれぞれ難解なものが多いですが、それはフロイトが自身の体系を作らなかったことが原因しているのです。勿論ラカンのフロイトの捉え方、精神分析における「父親」をどう捉えていたか、その都度違うのでしょうが。象徴的父親、想像的父親、げんじつの父親、はたまたこれらのrataではなくratatouille, pot-pourriの類を意識してラカンは作っています。pot-bouilleではないことは確かでしょう。  昨年11月に東京精神分析研究所の会員向けに取り上げたPour une théorie lacanienne des pulsions - M. C. LAZNIK https://laznik.fr/wp-content/uploads/2017/11/th%C3%A9orie-Lacan-des-pulsion.pdfを載せます。『倫理』において「昇華」の問題を理解する前に欲動についてラカンがフロイトの欲動について、主に『欲動とその運命』をラカンはどのように読んでいたか、ほぼセミネールXI巻に重なっていますが分かりやすく説明するために取り上げました。 ①「ラカンにおける現実la réalité」と②「ノン・デュ・ペール」が書きかけですが、②の方はhttps://www.ogimoto.com/pdf/20171002-01.pdfとhttps://www.ogimoto.com/pdf/20180116-02.pdfが荻本医院のHPでアップされていることもあり(荻本医院が廃止になることでドタバタしている時期に認めたものできちんと見直しもせずアップしてしまいました)、これらの延長線上にある②をある程度まとめたら逐次アップして行きますので、その際訂正すべきところは訂正いたします。③ラカンと聖アウグスティヌスについて、④外傷について、も書きかけですが、ある程度まとまったらアップいたします。